二十四日市で賑わう本町通りから安川通りを上がって、降りしきる雪の中を煥章館に足を運ぶと、会場に並べられた椅子はほぼ埋まり始めていた。この日の講演は、「国のために死ぬのは素晴らしい?」という胸に刺さるサブタイトルを掲げた元イスラエル軍兵士であるダニーさんの「はなしを聴く会」。主催した、普段はヴォードヴィリアンをしている中澤吾朗さんは、聴衆の入り具合を確認しながら、会場を見渡している。 「ホントはもっと多いと思ってたんだけどな、笑。いやぁ、でもこんな雪の中、みなさんよく集まっていただきました」。 イスラエルによる軍事占領が続くパレスチナの現状。スマホを開くとそこには、人が人を撃ち、街が破壊され、瓦礫に埋まる子供たちの映像が流れてくる。 「そこで生きる人の人生が蔑ろにされている。こんな生々しい映像を見る時代が来たんだなって。その映像を〝見ない〟という選択だってあるけれど、だけどそれじゃ何も解決しないですよね」。 何もできない自分の無力さへの絶望から湧いてきた「怒り」が「憎しみ」に変わった時、「ああ、こういう気持ちこそが戦争の思う壺だな」と感じた彼は、この気持ちを何かに変換できないかな?と考えた。 「FREE GAZAのワッペンをつけていたら、声をかけてくれた方の紹介で出会ったのがダニーさんだったんです。すでに日本中を講演して歩いていたダニーさんは、大人だけじゃなくて小中学校の子供たちの前でも話をされている。ぜひその話を、高山で、みんなで聴きたいなと思ったんです」。
促されて、会場の一番後ろの椅子に腰を下ろすと、講壇にはもうダニーさんの姿があった。吾朗さんからの短いイントロデュースの後、彼はこんな言葉でこの講演を始めた。「今日の話を日本語で聞きたい人いますか~?」
話してみるとすぐに分かるのだが、ダニーさんはすごくユーモアのある人だ。「戦争と平和」についての話だけど身構えずに聞けるようにと、みんなをクスリとさせるその問いかけで、場が一気に和む。 「みんな手を挙げましたね。オーケー、日本語で話しますね」。 イスラエル軍でパイロット養成コースに入隊し、3年の兵役を終えたダニーさんが、退役後の旅行先として初めて日本に来たのは1979年のことだった。3ヶ月かけて日本中をヒッチハイクして旅した後、予定を伸ばして日本語学校に入学。アルバイト先で、当時大学でユダヤ史を学んでいた後に妻となるかほるさんと出会った。その後イスラエルに移り住んだ2人だったが、政治状況の変化で再び日本へ。趣味だった家具作りに取り組み、注文家具会社での修行後に埼玉県秩父にて〈木工房ナガリ家〉を開いた彼の日本暮らしは、もうかれこれ40年以上になる。 「外国に暮らしていると、自分の国を外から見つめることになります。自分の国を外から見つめると、今まで気づかなかったこと、今まで目に入らなかったことに気づきます。わたし自身もそれまでの考えを変える大きな気づきがありました」。 ダニーさんにとって、それは2008年にイスラエルが行ったガザ地区への攻撃だった。22日間で1400人のパレスチナ人を殺したこと、その中に345人の子供がいたこと。攻撃したのは誰あろう、かつて自分が所属していたイスラエル空軍だった。 「罪のない子供たちを殺して、イスラエルは平気なのか?すでに何年も疑問符を抱き続けていたわたしの軍隊信仰は、この時に崩れ去りました」。
シオニズムによる移住から。
イスラエルの場所や大きさを即座に答えられる日本人はどのくらいいるだろう?日本から9000キロ離れた場所にあるその国は、四国くらいのどちらかと言えば小さな面積の国だ。この狭い国に700万人のユダヤ人と700万人のパレスチナ人がいる。 「この人たちがどこかに行くこともないし、消えることもありません。ってことは、これからもこの2つの民族はやっぱりここにいなくちゃいけない。いまここにいる2つの民族、ユダヤ人とパレスチナ人の選択肢は2つに1つ。共に生きるか、共に死ぬか。これは80年前の日本とアジアの関係と似ています。当時は争い、その結果大きな犠牲を払ったけれど、過ちに気づいて日本は素晴らしい憲法を立ち上げて、以降戦争はしていませんね」。 ダニーさんは日本に来た時から、平和活動家だったのではない。手作りのログハウスに暮らし、庭で採れた野菜とワインで田舎暮らしを楽しみながら、家具作りに勤しむ暮らしには十分満足していた。だが戦争や原発、難民、LGBTQ…、これらの社会問題を見て見ぬ振りをする日々はどこか空虚だった。「イスラエルとパレスチナはまだ日本の80年前の気づきにはほど遠いけれど、いつか気づくと思っています」もう見て見ぬ振りはできなくなったダニーさんは、それを信じて講演活動を続けている。 「もちろん現在の中東の問題は、近年始まったのではありません。それは歴史を遡ることおよそ2000年前、ローマ帝国と戦って敗れたユダヤ人が国を追われたことから始まっています。2000年の間、ユダヤ人は世界のいろんな国に散り散りに住みながら、差別や迫害を受けることになります。こうした状況をなんとかしようと、19世紀末から、聖地〝シオンの丘〟に自分たちの国家を作ろうという機運が高まりました。そして、移住を進めるシオニズム運動が始まったのです」。 その運動の一環として、1920年代に、ダニーさんの父方の両親はポーランドから、母方の両親はドイツから、イスラエルへと移住してきた。そしてその約20年後、ドイツでは5年間で600万人のユダヤ人が虐殺されるというホロコーストの悲劇が起きている。 「シオニズムがなければ、おそらくわたしは生まれていなかったでしょう。だからシオニズムがなければ良かったとは、わたしはとても言えません。ただし忘れてはいけないのは、シオニズムによって中東の民族のバランスが崩れたこと。さらにパレスチナ人に多くの犠牲者が出たことです」。
第二次世界大戦後、ナチスの被害にあったユダヤ人の国づくりを国際的に支援しようと言う機運が高まり、その結果国連は1947年にパレスチナの土地にアラブ人とユダヤ人の国を作る「パレスチナ分割決議」を採択した。197万人のアラブ人に43%、60万人のユダヤ人に57%の土地を渡すと言う内容に代々パレスチナの地に住んでいたアラブ人は大きく反発したが、翌1948年にユダヤ人はイスラエル独立を宣言した。 「わたしもユダヤ人だから言いますが、勝手に住み始めるユダヤ人もおかしいですね。〝2000年前にここに住んでいたから出て行って下さい〟と言われて、〝分かりました〟というわけがないです。第一次中東戦争が勃発し、周辺のアラブ諸国が攻め込みましたが、ソ連やチェコスロバキアがイスラエルを支援して、結局イスラエルは75%の土地を手に入れました」。 その結果住む場所を失った70万人のアラブ人が周辺諸国へと逃れ、「パレスチナ難民」が生まれた。 「大勝利したユダヤ人にとってこの日は独立記念のお祝いの日ですが、パレスチナ人にとってはこの日は”ナクバ(災厄)”。同じ日でも正反対の意味を持つのです。悲しい悲しい歴史です」。
その後1967年に始まった第3次中東戦争には、ダニーさんのお父さんも従軍している。 「イスラエルでは小学校から高校までの12年間の授業で、自分たちの文化と歴史として『旧約聖書』を学びます。6歳の子に、わたしたちが住んでいるのは神様に約束された土地といえば、みんな信じ込みます。そしてわたしたちの土地なのに攻撃するアラブ人はひどいと思うようになるんです」。 小学4年生だったダニーさんもお兄さんと一緒に毎晩ラジオ放送を聴き、イスラエル軍の戦果をワクワクして書きとめていた。「近隣諸国は敵」と教えられ、国家を守るために強い軍隊が必要と信じて疑わなかったダニーさんが、高校卒業後18歳で入隊する時に描いた夢は戦闘機のパイロットだった。 「わたしだけじゃない、戦闘機のパイロットはイスラエルの男の子すべての夢です。それ以上憧れの仕事もないし、それ以上に栄誉な仕事もありません。イスラエルのお母さんにとっては、自分の息子が戦闘機のパイロットになったら、それ以上の自慢はないんです。これは19歳の私の写真ですが、かっこいいと思う人いますか?」 スクリーンに笑顔で戦闘機に乗るダニーさんの写真が映し出されると、会場では何人もから手が挙がる。 「はい、ありがとう、笑。わたしもこの時、自分のこと超かっこいいじゃんと思ってました。なぜかというと入隊以降の大変厳しい勉強とトレーニングを重ね、いくつもの試験を通ってようやく戦闘機に乗れるからです。飛んでいる姿は映画スターのようだと心底から思っていました」。 実はダニーさんは最後の最後の試験で戦闘機乗りになれなかった。その時は絶望的な気持ちになり、故郷の村に帰るのも憂鬱だったが、日本に来て気づきを得てからは、その捉え方が大きく変わった。 「戦闘機はすごく性能の高いマシンですが実は出来ることは2つしかありません。1つは人を殺すこと、もう1つはモノを壊すこと。しかも爆弾は対象を区別しません。1回落としたら、赤ちゃんでも女性でも男性でも年寄りでも殺します。19歳の自分の気持ちを今でも覚えてます。もし戦闘機乗りになっていたら私もやったはずです。なれなかったのはとても運が良かった。わたしには、もうそれがかっこいいとは思えません」。
第3次中東戦争は「6日間戦争」と呼ばれ、短期間のうちにイスラエルはヨルダン川西岸地区、ガザ地区、シナイ半島とゴラン高原、ヨルダン領だった東エルサレムを占領し、統治する面積はあっという間に4倍になった。もともと住んでいたアラブ人には国籍を与えずに入植地を拡大し、エジプトに接するスエズ運河沿いの装備を強化したが、6年後、エジプト軍はそのスエズ運河を渡りイスラエルに向かって進軍を始め、第4次中東戦争が勃発する。80年代に入ると、イスラエルの占領下に入ったパレスチナ民衆の中から「インティファーダ」という自然発生的な抵抗運動が広がったことから国際社会が動き出し、1993年に、ガザ地区とヨルダン川西岸地区からイスラエル軍を撤退させ、その地域でのパレスチナの暫定的自治を認める「オスロ合意」が結ばれた。共存の道を探るスタート地点についたかに思えたが、和平交渉が行き詰まる中「オスロ合意」を結んだPLOのアラファト議長が病死。最終的な話し合いは決裂してしまった。 「2005年に行われたイスラエルのガザ地区からの撤退は封鎖と引き換えでした。ハマスが手に負えなくなったイスラエルは、2007年には彼らが拠点としていたガザに閉じ込め押さえ込もうとしたのです。でもガザに住んでいるのは大半が一般市民でパレスチナ難民も多くいました。わたしの住む秩父地方よりもずっと小さい場所に約230万人が住んでいて、その人口密度は世界有数ですが、食べ物も作れず、仕事もありません。自国の軍隊によって封鎖している地域には最低限の必需品を供給しないといけないと国際法で決まっていますが、イスラエルはその量をできるだけ少なく見積もっているので、ガザ地区では何もかもが足りません」。 ガザ地区の封印と並行して、イスラエルはヨルダン川西岸地区の周りに、国際的に認知されている1949年の停戦ラインを超える形で巨大な「分離壁」の建設を始めた。自由と尊厳と独立を求めてたびたびイスラエルにロケットを撃ち込むパレスチナ人に対して、イスラエル軍は攻撃をしかけ、2008年には子供345人を含む1400人が、2014年には2400人以上のパレスチナ人が殺されている。さらにイスラエルは1400億円を投じ、コンクリート壁が地下何メートルにも及ぶガザ地区を囲むフェンスを建設した。だが、ネズミ1匹入っても分かると言われた精度の高いセンサーと防空システムを有したその壁を超えて、2023年10月7日、ハマスはイスラエル領内に突入したのだ。
止まらない連鎖。
「ハマスはイスラエルの人家に突入し、火をつけ、シェルターから赤ちゃんからお年寄りまで引きずり出し、1日で1200人が殺されました。ハマスの若い戦闘員たちは〝天上のない牢獄〟と呼ばれる狭い土地に閉じ込められ、イスラエル軍の攻撃で民間人を殺され、憎しみでいっぱいだからです。悲しいですが驚きませんでした。絶対そういう日が来ると思っていたし、状況が変わらなければ、これからもまたあると確信しています」。 イスラエルはガザ地区へのあらゆる物資の供給をストップした。子供を含む230万人の食料も水も電気も止めて、空爆と地上侵攻も開始したため、ガザ地区の死者数は増えるばかりだ。 「イスラエルは今度こそハマスを倒すと決意していますが、さぁ、どうでしょうか?軍事力だけでそれが出来るでしょうか?話し合いは絶対にあり得ないと言う人たちがいますが、そうでないことは歴史が証明しています。わたしが子供の頃はエジプトとの和平は絶対無理と教えられましたが、1979年に、和平条約が結ばれました。亀裂を埋めることは可能で、話し合いで解決できないとの思い込みこそ捨てないといけません。ハマスがやったことは本当にひどいけれど、ガザ地区を攻撃してどうなるのか?子供たちを含むたくさんの民間人が死んで憎しみが生まれ、その憎しみの連鎖でまた戦争が始まり犠牲者が出るだけです」。
戦争は本能なんかじゃない。
ある大学で講演をした時に、講演後に1人の留学生が近づいてきてダニーさんにこう言ったことがあるという。「戦争は昔からあったし、いまもあるし、これからも続くでしょう。戦争は人間の本能だから止められるはずがない」と。確かに戦争は昔からあったし、世界史を学び始めた中学生が教科書を開けば、並ぶ戦争を追って授業が進められる。 「こうして戦争のことばかり勉強すると、戦争は止められないと思うようになるのかもしれません。ただ、いま世界の人口は80億人を超えていますが、そのうちロシア人とウクライナ人の割合はおよそ2%。残りの98%は戦争をしていません。冷静に考えてみればどの時代も戦争をしていない地域や人の方が圧倒的に多かったのです。このような事実に気づくと、戦争が人間の本能のはずもないのです。わたしたちは歴史を学ぶけれど、何があったかを知るだけで、歴史に学びません。わたしが思うに」とダニーさんは空を見つめる。「戦争を避ける方法を1年間教えていけば、おそらく10年でこの世から戦争がなくなるんじゃないでしょうか?」
またダニーさんにはこんな経験もある。それは戦争で戦っていたのは「敵」ではなかったと気づいた瞬間だ。日本に来て日曜日に代々木公園へ行くと、いろんなイベントにキッチンカーが出ている。その出店者の多くはイラン人やシリア人なのだ。 「それを見た時は本当に驚きました!なんでかと言うと、わたしは3歳からこの人たちは〝敵〟だとしか言われたことがなかったからです。日本はよくこんな怖い人たちを国に入れたと恐る恐る見ていると、みんな隣の人とニコニコしながら喋っている。あれ?わたしとひとつも変わらない?…彼らは〝敵〟じゃなくて〝人間〟だったと、その時初めて分かりました」。 いまではダニーさんは、日本で知り合ったアラブ人の友人もいる。「結局わたしたちは教育でお互いを〝敵〟だと思っていただけだったのです」。
いったん軍事第一の国になったら抜けるのは大変。日本はいまその入り口にいるように見えます」。
よく見て・よく聞き・よく話す。
「ところでこの中で日光東照宮へ行ったことのある人はいますか?」 ダニーさんがそう言うと4~5人の手がパラパラと挙がる。 「関東でこう聞くとほぼ100%なんですが、やっぱり高山は関東から遠いですね、笑。あそこには有名な〝見ざる・聞かざる・言わざる〟の三猿の彫刻がありますが、実はわたしの暮らす地域にある秩父神社には〝よく見て・よく聞き・よく話す〟と言う三猿が本殿に彫られているんです。よく見ることは大事です。例えば日本の防衛費がどんどん膨らんでいることを知ってますか?」 スクリーンには「9兆353億円」と言う数字が映し出される。 「全然ピンとこないですよね?じゃこれを365日で割りましょう。すると、247億。まだピンとこないですよね?それではこれを24時間で割ると約10億ですがまだ分かりにくいからこれを3600で割ると…、1秒28万6000円と出ます。このお金がどこから出ているかというと、わたしたちの税金です。日本は今後防衛費をGDPの3.5%にあげようと言っているので、そうなると1秒あたり48万円になりますね」。
この数字には驚かされるが、もっと驚くのは現在のところ世界一大きな軍隊を持っている中国の国防費はその4倍の36兆円だと言うことだ。 「この差額も、消費税を上げて年金支給額を減らせば捻出できますが、それで終わるでしょうか?先の戦争で侵略したのは日本の側です。また南京事件が起こるかもしれないと思えば中国は国防費をもっと上げるでしょう。なぜわたしが確信を持ってそう言えるのかと言うと、イスラエルがそうだからです。相手が増やしたら、イスラエルも増やす、すると相手も増やす。このイタチごっこに終わりはありません」。 近年の日本では、下がり続ける教育と農林水産の予算を防衛費が大きく超えている。膨らんだ防衛費で購入しようとしている戦闘機は、どこで誰に向けられるのか?その行方をわたしたちは知らなければならないだろう。
奪われてはいけないもの。
それからダニーさんは少し息を整えると、これらの大きな課題の背景にある最も重要なことを話し出した。それは、誰にでも「しあわせに生きる権利」、つまり人権があるということだ。
「人権以上に大切なものがないということを、わたしたちは学ばなくちゃいけません。なぜかというと人権はわたしたちにも中国の赤ちゃんにもガザの子供にも、生まれた瞬間から一人ひとりにあるものだからです。わたしの人権が尊重されていないということは、わたしの子供や孫の人権も尊重されないということです。守れば戦争出来ません。守らなければ戦争になります。他人の人権を尊重しないと、いつかそれが自分にも返ってきます。そしてその大切さを知る大人の責任は、肌の色、宗教、民族、国籍を問わず、みんな人権のある〝人間〟だと子供達に伝えることです」。
この人権に対する考え方は、戦争のみならず、フェミニズムやLGBTQなどにも共通するものと言えるだろう。この時は話されなかったが、「人権」をテーマとする講演では、ダニーさんは冒頭で「左利きの人は手を挙げて下さい」と挙手をしてもらい、こんな話をするという。
「LGBTQの人は日本の人口の8.9%で、左利きやAB型の割合とほぼ同じだそうです。皆さんは左利きやAB型の人を差別しますか?たぶんしないと思います。それは彼らがどこにでもいるからでしょう。LGBTQの人もごく当たり前にどこにでもいるんです」。
どんな違いがあっても、生まれたならば誰にでも人権はある。そこを認め合って初めて、お互いがお互いを尊重する世界が成り立つだろう。
「こんな話をしてると世の中真っ暗闇に見えますが、そうでもないです。80年前の日本は大っぴらにこういう話は出来ませんでした。ですが戦後80年が過ぎ、戦争体験者はどんどんいなくなります。次世代に80年前のような社会を与えますか?フェイクニュースだらけで複雑な世の中ですが、何が正しいのか、何かを使えばすぐに分かります。それは想像力、つまり心です。わたしたち大人はこれから心を使っていかなくてはならないでしょう」。
揺るがぬ思いで伝えるそんな言葉で、この日の講演は幕が閉じられた。
これはダニーさんの非戦論だが、「すべての暴力に反対する」というダニーさんの考えを、現実的ではない「理想」という人もいるだろう。だがダニーさんはその言葉に「理想だというならそのために愚直であっても努力をすべきでは?人間が理想を言わなくなったら、地球に存在する意味がありません」と答える。相手の身になれば、相手にも「しあわせになる」権利があることに気づく。そうして想像するところから始めるなら、お互いを認め合う世界を見出せないだろうか?講演の夜、〈ピースランド〉で、〈ナカムラサトコ〉と今回の会を主催した中澤吾朗さんこと〈上の助空五郎〉のライブが行われ、打ち上げでダニーさんと同じ鍋のおでんをつつきながら遅くまで話は尽きなかった。気づきを得たならば、「心を使って」考えなければならない。戦争だけじゃない、身近な暮らしの中にも「尊重し合う」ためにわたしたちの想像力を使う場面は多いはずだ。「しあわせに生きる権利」は条件付きじゃない。誰にも奪えない。降り続いた雪は止まず、誰の胸にも今日のこの時間がしんしんと積もっていくような気がしていた。
1957年イスラエル生まれ。1975年徴兵制によりイスラエル空軍にて3年間兵役を務める。1979年来日。1988年より埼玉県皆野町にて〈木工房ナガリ家〉を営む。創作活動のかたわら、社会活動として講演活動を行う。著書に『「国のために死ぬのはすばらしい?」ーイスラエルからきたユダヤ人家具作家の平和論ー』(高文研)など。
























