開学まで1年!
大学と共に創る地域の未来とは?
「大学ができるらしい」、「本当にできるの?」。噂が早いかニュースが早いか、度々話題となってきた計画が文科省の許認可を待つばかりとなった。大学づくりの中心になって奔走してきたおふたÅて今、考えていることを語っていただく。飛騨に大学が、本当にできる。

高木 朗義
Co-Innovation University(仮称)副学長候補 / 一般社団法人 CoIU設立基金 理事。専門はまちづくり(土木計画学 / 政策評価、総合防災、都市地域計画、インフラ管理等)。

辻田 雄祐
Co-Innovation University(仮称)事務局勤務。開学はあくまで出発点。今は「大学をつくりにきた人」から「飛騨に暮らして一緒にこの町をより良くしていく人」になりたい。
辻田
高木さんはこの大学の副学長候補でいらっしゃるわけですが、そもそも元々のご専門だった防災工学から、まちづくりの実践研究へと対象を移行させるきっかけは何だったんですか?
高木
すこし前のことになるんだけど、2008年頃から現職の岐阜大学・社会システム経営学環 岐阜大学・社会システム経営学環 複数の学部等を横断して、経営 / マネジメントを軸に、「ビジネス」「まちづくり」「観光」について学ぶことを目的に、2021年に岐阜大学内に新設された。高木さんが専任教員を務める。と岐阜県庁とで連携が始まったんですね。当時、国立大学が独立行政法人化され地方大学の地域貢献という役割が大きくなったタイミングで国の公共事業への批判が噴出していたこともあって、両者が協定 協定 包括連携協定。「岐阜県と岐阜大学が相互に協力することにより、活力ある地域社会の形成と発展及び人材育成に寄与する」ことを目的とする。2008年スタート。を結んで大胆な人事交流や地域実践などが始まりました。そこに社会基盤の専門家として私にも声が掛かり、岐阜県庁へ地域政策監として週3日出向することになり、実際にまちづくりの現場に入るようになったんです。
辻田
たしか今の都竹飛騨市長や江崎岐阜県知事とも、そこで出会われたんですよね。そこからの「地域実践」って具体的にどんなものだったんですか?
高木
あの頃は都竹さんも江崎さんも、まさに岐阜県庁最前線で大活躍してましたね。当時の岐阜県庁では地域住民による自立的なまちづくりを支援する事業がスタートしており文科省から「大学も地域としっかり関わって、地域主導でまちを考えていく機運をつくりましょう」とのCOC+ COC+ Center of Community事業。「〈地(知)の拠点大学による地方創生推進事業〉。地方創生の中心となる「ひと」の地方への集積」を目的として、各地方の産学官連携を国が支援する試み。+を受け、岐阜県では郡上や飛騨との連携が始まりました。その1つの現場が具体的には飛騨市の種蔵地区で、集落に入ってまずは地域ごとのビジョンづくりから始めることになりました。今では企業に限らず自治体でも、デザイン思考 デザイン思考 デザイナーが業務で用いる課題の探索から解決までを検討する際に用いる思考法。やCSV CSV Creating Shared Value。企業が事業活動を通じて社会的な課題を解決し、経済的な価値と社会的な価値を両立させる経営戦略のフレームワーク。

「地域貢献」は大学のため?
辻田
今進めている大学で、「理論・対話・実践」の往還 「理論・対話・実践」の往還 CoIU(仮称)では、共創の実現のために、「「理論」、「対話」、「実践」を往還するプロセスを通じて課題解決及び社会変革を実行する力を備えた人材」を育成することを目的としたカリキュラムが設計されている。を重視していることにもつながっていきますね。普段高校生と話していると、実社会での手触り感のようなものを欲しながらも得られていない生徒が多い印象を持ちます。すると、SNSなどで得られる手近な情報ばかりを鵜呑みにしてしまいがちにも。社会が複雑になりすぎていて、いわゆる「自己の確立」がいっそう難しくなった背景があると思うんです。
高木
うん。大学生を見ていて頭でっかちに見えることもありますね。みんな素晴らしい子たちなんだけど、どこか他人事で「さわやか」に考えすぎている。実際に、地域の課題を解決しようと思ったら、泥臭いことだらけだし、誰かが解決してくれるわけではないよね。提案して終わり、なんかでは全くありえない。当時、郡上市の方から「まさか、この後に及んで地域貢献を大学のためにしないですよね?」って、言われたのを強く覚えています。
辻田
決して「地域貢献」は方便ではない、ということですよね。露骨に宣伝っぽくなっちゃうんですけど、本学のテーマ、「共創」の要点は、これまで大学が陥りやすかった形式的な社会との関係を超えようとする点にもあると思っています。そのためのカリキュラムと学生一人ひとりへのフォローアップが綿密に計画されているんです。1年次にはフィールドとしての飛騨市古川各地にある街中キャンパス 街中キャンパス 古川駅東に2027年開業予定の〈Soranotani〉をはじめ、飛騨市地域内の空き家を利活用して整備されるキャンパス。 にいながら、今後の基礎となる経済・経営の理論やデータ分析、デジタル活用の方法や対話の方法などを集中的に習得できます。
高木
教科書的なものが学びのすべてではなくて、実際にそこの土地で生活して刺激される五感からこそ、深い大きな学びがあると思っています。目の前に落ちていたゴミは、自分が拾わなければ無くならない。誰も拾う姿は見ていないかもしれないけれど、拾ってみれば小さな変化が感じられたり責任感が湧いてくる。そうするともしかしたら成果も出て、感謝されもする。知らないうちに、自分にできることが増えていることにも気づく。そうした泥臭い中から現実的に社会を動かすことを学んでもらえます。
産学官のHappy-Happyな関係
辻田
そうしたことが、2年次に設定されているボンディングシップ・プログラム ボンディングシップ・プログラム CoIU(仮称)の2年次学生が履修する長期実践型インターンシップ。元々は「結びつき」を意味する語で、全国各地の企業で実施される。カリキュラムとの連動や、学生一人ひとりの状況に合わせた段階的なプログラム設計の他に、コーディネーター機関 コーディネーター機関 ボンディングシップ時に、受け入れ企業と学生との間に入り調整や進度の確認、フォローアップなどを担当する機関。例えば、岐阜では、2001年よりスタートの特定非営利活動法人〈G-net〉がある。により品質が担保されている点が特徴。へとつながっていくわけですよね。全国各地サテライトキャンパス サテライトキャンパス 北は札幌、南は福岡まで全国13地域に予定されている、地域の拠点。学生の成長だけでなく、受け入れ企業の成長や変革にも貢献する。週2日はオンラインで、理論や各学生からの知見がシェアされる。 の連携ある地域へと実際に学生が行き移住して、週に3日は企業や団体でのボンディングインターンシップで対話と実践を繰り返す。そして、残り2日はオンライン授業で新たな理論を習得したり、地域にいる学生からの知見もシェアしながら理論とも照らし合わせる。こうした試みは、これまでに高木さんが岐阜大学の社会システム経営学環で、実践されてきた知見を活かしたものですよね。
高木
そうですね。例えばこれまでに、合羽や防水エプロンを製造されている名古屋の〈船橋株式会社〉という会社が新製品の企画をしました。これまでの研究で児童の交通事故が雨の日に多いというデータがあり、その解決策として発色の良いカッパを開発したんです。とはいえ、作れば売れるわけではないので、学生が中心となってクラウドファンディングを試みました。他にもコロナ禍に入って医療用ガウンの製造が足らなくなった際に、学生が中心となって情報発信をした。それが〈トヨタ〉の目にとまり「カイゼン カイゼン 〈トヨタ〉が考案した課題解決の方法。マイナスを0にする「改善」に対して、業務を見直しよりよくする点で棲み分けされている。システム」も導入したことで生産効率が100倍になり新工場の建設にまで至ったんです。
辻田
当然、複雑な現実の事象に向き合うわけなので、学生はうまくいかない状況に何度も向き合わねばなりません。相応のタフさが要求されるはずです。そこで現地企業とのあいだに、地域ごとにいるコーディネーター機関が重要な役割を果たしてくれるわけですよね。会社側にとっては経営改善の他にも、一般の社員にも何か変化が見られるのでしょうか?
高木
これは私も驚きだったんですが、学生の受け入れを担当してくれる社員が驚くほどに成長するんですよ。会社の内部にいると日々の通常業務だけで忙しくしてしまって、本来自社が持っていた価値や可能性に気付きづらくもなるものです。その中で学生がいろんな動きをしていくと、他の社員にも「そんなことしてもいいんだ…」と新しいマインドセットが伝播していく。
辻田
その意味では受け入れてくださる企業・団体側にとっても、自社内でのリカレント リカレント 「循環」や「再発」を意味する。「社会人の学び直し」として近年注目されている。にもなりえるのかもしれないですね。
高木
はい。なのでWin-Winならぬ、各々にとって一義的でない成果を求めるHappy-Happyな関係こそが目指す姿なのだと思っています。
フードコート的?
辻田
日本人って「専門店」が好きってよく言われるじゃないですか。反面、僕たちがやろうとしている大学はフードコート的に見られることもあって。
高木
なるほどね。たしかに、フードコート的なのかもしれない。けれど、並んでるお店は超専門店級だよね。
辻田
そのとおりですよね。単に、いろどり豊富に教授陣や環境を取り揃えているわけではない。描きたい大きなビジョンは明確にある。でもなおさら、「マーケティングがやりたいなら、(それもある既存の)経営学部に行ったらいいじゃないか」って声も当然ありえると思うんです。この点、学術機関としての本学の特質性を高木さんならどう伝えますか?
高木
やっぱり、現に地域課題に向き合って実践をされてきた教員が多くいることだと思いますよ。加えてその実践、基礎的な理論と最先端の知見へのアクセスをベースにしていること。その点において、現行の「実務家教員」制度 「実務家教員」制度 社会人教員。実務経験を活かして、教育機関外部から招聘される。とも異なります。
辻田
たとえば、教鞭をとっていただく予定の方に、シビックテックがご専門の関さん 関さん 関治之(せき・としゆき) CoIU(仮称)教員候補。〈Code for Japan〉代表理事。がいらっしゃいますよね。東日本大震災の発災後間も無く、被災者支援のためのウェブサイトやアプリケーションを構築したことでも知られています。これまでの枠組みを超えた流動的なチームが組まれる。そこに、先端的な知見や経験が集積する研究機関があるということは、課題解決の可能性は間違いなく高まるはずです。
高木
その点、すでに名乗りを挙げてくれている150社以上の連携企業群も大きいよね。研究者にとっても理論から実践まで一気通貫できるフィールドは非常に貴重なものです。そのうえで共創の種が豊富にある、飛騨や全国各地への期待は非常に大きなものです。
辻田
来年度の入学者は1期なので、たしかに不安もあるかもしれません。けれど、企業とプロジェクトを一緒につくっていくだけでなく、大学も一緒につくっていく。このような意味で、僕たちが掲げる「共創」の思想を最もダイレクトに感じられるはずです。
高木
都市部の巨大な講義室で1/300人になるのか。それとも、飛騨の街中で1/1人になるのか。対個人の手厚さという点から見ても決定的に質の異なるものができあがってきています。これから受験される皆さんの熱い思いに出会えるのを楽しみにしています。
開催情報
オープンキャンパス開催
体験授業 / 大学説明 / 個別相談
DATA
Co-Innovation University(仮称)
この味わいを守りたい、
〈COWCOWヨーグルト〉の新たな挑戦。
飛騨に暮らす多くの人が衝撃を受けた〈飛騨牛乳〉の解散。長く親しまれてきたその味わいは、地域の中で自家製ヨーグルトを作る〈COWCOWヨーグルト〉のベースとしても使われてきた。オープン以来作り続けてきたヨーグルトの味わいを守るべく、その先を模索する人がいる。

ビフォア、ヨーグルト。
〈COWCOWヨーグルト〉を営む奈木さんは、いまで言うヤングケアラーだった。「18歳の時に母が倒れて要介護となったんですが、その頃は制度が整っておらず、介護のすべてが家族にかかる時代でした」。短大を卒業して戻ってきた時に、「母の介護をしながらできる仕事はなんだろう?」と考えた彼女が導き出した答えは、なんと「営業」。「介護しながら」という現状に理解を示してくれた会社と巡りあった彼女は、「営業車に母を乗せて、バリバリと仕事をしていた」と当時を思い出す。30歳になった時にようやく介護保険制度が施行となり、介護サービスが受けられることになった。「これからはもっと自分を発揮できる仕事をしてみよう」そんな気持ちの転換期に目に飛び込んできたのが、折込チラシに書かれた当時創業したばかりの弊社〈(有)ブレス〉の社員募集の文字だった。
「見たその足で会社に行って扉を開けたら、元々顔見知りだった細井さんが座っていて。『なんでいるの?』と聞いたら、『ここの社長やもん』と答えたからびっくりしましたね、笑」。立ち上げたばかりの弊社にいたのは、デザイナーが2人のみ。そこに加わり、社長と2人体制になった営業部隊はとにかくよく働いたという。「『今日のアポは自分が多い』『今月の制作物がわたしが多かった』なんて言って、いい意味で競い合ってましたねぇ。もちろん私は社員でしたけれど、細井さんとは同志みたいな感じで、当時は毎日神棚の下に制作物を並べて、『どうかお客さんのところが繁盛しますように』と並んで手を合わせてました。年末年始も仕事してたなんて言うと、いまの人にはなんて思われるか分かりませんが、笑、やりがいを感じながら心は充実していました」。
健康を支えるヨーグルトを。
そんな駆け抜けるような10年を過ごした後、とある転機が訪れた。「わたしも1度は結婚したんですよ、笑」。生活が変わることをきっかけに建設業へと転職したのだが、そこで共に仕事をしたのが、いまの会社である〈GOOD PLUS〉のビジネスパートナーとなる平野さんだった。「同じタイミングで独立を考え始めていた時に、何を目的に会社を営むのかを考えると、やっぱりお客さまのためになることがしたい、という思いが同じだったんですね。そこで浮かんだのが健康というテーマでした。母を介護してきて身に染みて感じたのは、介護はする方もされる方もやっぱり大変であること。出来れば健康で長生きをするってことが望ましいと感じていたことから、わたしは『食べるもの』で、平野さんは『住まい』で、お客さまの健康をサポートできるような会社を作ろうと考えたんです」。
食べるもの、と言っても中途半端なものは出したくない。何か自分で手がけられるものを…、と考えた時に浮かんだのが老若男女誰でもが毎日飽きずに食べられるヨーグルトだった。さっそく自宅2階を改装して試作を始めた奈木さんだったが、実はその最初期から使ってきたのが〈飛騨牛乳〉の牛乳だった。「まずは地のものを使いたいと思って作ってみたら、これが本当に美味しかったんですよ」。以来、〈飛騨牛乳〉の牛乳はなくてはならないものとして、〈COWCOWヨーグルト〉の味わいのベースであり続けてきたのだ。

飛騨産の牛乳で作った、ヨーグルトの味わいをこれからも。
〈COWCOWヨーグルト〉が多くの人に愛されるにつれ自宅での製造が手狭になり、また建築と共にあるという会社のかたちを知ってもらいたい思いもあり、昨年の春、〈GOOD PLUS〉は食と建築の2つの業種が一体化した店舗をオープンさせた。本町からバイパス沿いに移っての営業も軌道に乗り、ほっと胸を撫で下ろしていた昨秋、その知らせは突然届いた。 「〈飛騨牛乳〉解散の知らせでした。そのままバタバタと年末年始を過ごしていたところへ、製造最終日のお知らせが来て、これはまずいことになったと頭を抱えました」。 なにしろこの店のヨーグルトはすべて〈飛騨牛乳〉の牛乳をベースに作っているのだ。代わりの牛乳で同じ味が出せるだろうか? だが高山で手に入る30種以上の牛乳すべてで試してみたが、同じ味にはならなかった。 「この味が出せないならやめてしまおうか?」。
当初そう思ったのは、このヨーグルトが、本当に美味しくて体にやさしい物を届けたい、という思いから始めたものだったからだ。そのため保存料や人工甘味料を加えず、長時間じっくりと発酵させることで牛乳そのものの味わいを最大限に引き出してきた。この味を作るには、やはり〈飛騨牛乳〉の牛乳が唯一無二のものであることを実感せざるを得なかった。 だがそこで奈木さんはハタとひらめいた。牛乳は酪農家から仕入れた生乳を原料として作られる。 「だったら、その生乳をわたしが仕入れてクラフトミルクを製造し、ヨーグルトを作ればいいのでは?」 そこから、あらゆる有識者に会いに行き、改めて生乳や牛乳の知識や流れを学んだ。そして自社で使うヨーグルトの分を生乳から牛乳にすることができないか多くの人のアドバイスを仰いだ。しかし、牛乳業界の生乳の流れや契約は非常に複雑で、費用面も含めクリアしなければならない課題は多い。それでも、「飛騨牛乳使用のヨーグルトの復活を模索したい」と笑顔で話す奈木さん。「なんでも『当たり前のこと』ってなくて、いまの自分の元気な体もやっぱり当たり前じゃない。だからいまの自分で、このヨーグルトの味わいを未来の子供たちに残すために、前向きに進みたいと思っているんです」。 変わらぬ味わいのヨーグルトといつか再会できるよう、その日を心待ちにしたい。
DATA
GOOD PLUS Co.,Ltd
「飛騨市オーガニックビレッジ宣言」に、新たな食のポテンシャルを見る。
飛騨に暮らす多くの人が衝撃を受けた〈飛騨牛乳〉の解散。長く親しまれてきたその味わいは、地域の中で自家製ヨーグルトを作る〈COWCOWヨーグルト〉のベースとしても使われてきた。オープン以来作り続けてきたヨーグルトの味わいを守るべく、その先を模索する人がいる。

食べることは生きることの根幹にある。当たり前に思いがちだがそれがなくてはならないものであることを、例えば大きな災害などがあるたびに私たちは思い知らされる。そうした食を支える営みである農業に目を向けると、この地域でも農業者の高齢化や減少などによる課題は多く、またSDGsの取り組みが進むにつれ、環境への負担を考えたエシカルな消費が求められる中、有機農業を取り巻く意識にも大きな変化が生まれている。こうした気運の中、飛騨市では令和6年より次世代の農業を支える取り組みの一環として、有機農業に従事する農家による「飛騨市有機農業推進協議会」(通称V9!)を母体として、「種を蒔くプロジェクト」を始動! 有機農業で栽培された野菜と米を使った給食提供の実施や、地域の伝統品種にまなざしを向けた野菜の栽培、はたまた限界集落の除草にヤギを投入する試みなど、それぞれのメンバーによる独自の視点で持続可能な農の取り組みを進めてきたその営みを背景に、去る3月22日、ついに「飛騨市オーガニックビレッジ宣言」が発動! 環境負荷低減に思いを根ざした農業の新しい挑戦が始まっている。
「いよいよここから! という気持ちでワクワクしています」と語ってくれたのは、V9のメンバーである〈サノライス〉の佐野さん。無農薬米を栽培する彼のまなざしは、未来を託す子供たちの食にも注がれてきた。「昨年、一昨年と年に2回の農薬化学肥料不使用米による学校給食の提供を実施することができましたが、いつかこれを100%にすることが1つのゴール、と考えています。そのためには栽培の技術を上げて収穫量を増やすことも課題の1つ。また規模の大きな慣行農業の方々とも情報共有などを通してつながることで、実現を模索していきたいですね」。
人にも環境にもやさしい農のあり方を巡り、柔軟なアイデアでその取り組みに邁進する姿に感じるのは、食という営みの新たなポテンシャル! 次世代に向け撒かれた種が育ち行く未来に注目したい。
DATA
飛騨市役所 農林部食のまちづくり推進課
ここでスタートアップ!好きなことを実現させる立体朝市とは?

村井 育恵
姉と2人で〈喫茶BEGIN株式会社ビギン〉を営む。2025年春〈立体朝市 ビギン〉を開業。
心のどこかで思い描いていたこと、それが実現となる起点は、いつも意外なところにある。 「ここは元々親戚のおばあちゃんがたばこ屋を営んでいた場所なんです」。 体調を崩し店を続けられなくなった時に、「だったら農家の夫が作るトマトをここで販売できないかな?」と考えたのが動き出す最初のきっかけとなった。そう考えたのは、「街の真ん中のこの場所が空き店舗になってしまうこと」に、なんだかモヤモヤしてしまう自分がいたからだ。ちょうど〈飛騨春慶ネイル〉のプロジェクトを始めた頃で、活動する中で地元で好きなことを仕事にしながら営みを始めている若者の存在にも気づいていた。 「たとえばここを、彼らのスタートアップに活用できるような、チャレンジの場所にできないだろうか?」 多目的なレンタルスペースとして、この場所を新しく始動させようと考えた村井さんは、さっそくそのリノベを〈澤秀俊設計環境 / SAWADEE〉に依頼したという。
「最初は従来店舗として使われていた部分のみの改修を考えていたんですが、澤さんから住居だった2階を含めた空間全部を使うアイデアをいただいたんです」。高山にはすでに出店者と来場者がつながる「朝市」という文化があるから、2階建てのここはさしづめ「立体朝市」だろうか? そうして決めたスペース名には、村井さんの亡き母がかつて営んでいた〈喫茶 ビギン〉の店名が投影されている。 すでにギャラリーとして絵を展示したり、上映会が行われたり、コーヒー出店があったりと、息づき始めているこの場所。県外からもアパレル関連のポップアップの申し込みがあるなど、活用の幅も広がっている。 「たとえば会社員をしていても、自分の好きなことにも比重を置いて活動する人が増えてきていて。そういう小さな商いも、ここでの活動が収入の1つになることで次に向かうこともできるし、お互いがつながることで広がることもある。そんな場所にしていきたいですね」。小さな成功体験を積み重ねられる、始まりの場所になるよう。グランドオープンは4月14日。自由度高く、柔軟性のある活動の場として息づき始めたこのスペースのこれからに注目したい。
DATA
読むも読まぬも出入りはご自由に!
なにやらZINEを作る動きがあるらしい?!と耳にしたのは昨年の春頃。〈住職書房〉の藤原さんの声かけでスタートした〈飛騨高山ZINE俱楽部〉によるフリーペーパー『出入口』が約1年を経てとうとう完成した。飛騨地域在住の20代から30代の6人が制作した短歌、詩、散文、道中記、漫画、偏愛がB4サイズの誌面にぎゅぎゅっと詰まっている。「それぞれが思うままに表現できる場にしたい」と多様なジャンルで作る人々が集まったとあって、お互いに刺激しあってさぞ楽しい制作期間だったろうと想像するも、藤原さんにとっては自主制作の紙媒体を作るのは初めてのこと。何もかもゼロから立ち上げて旗振り役を担うことにつまずくことも多かったという。

でも「やめたい方向には向かわなかった」と振り返る彼。並走して支えていたのはデザインを担当した野上さんだ。「自分1人で作ると文章が書けないのでイラストばかりになってしまう。文字を使った媒体を作ってみたかった」とこのプロジェクトへの参加を決めたという彼女は、ふだんの仕事では使わないような文字組みや構成を自由度高く試せたという。彼女の手によって形が見えてきたことで「だんだんと楽しくなってきた」藤原さんは、立ち止まる時間が多かったことへの反省はありつつも「根幹には作りたい」という思いがあるとフリーペーパーの序文に書いているとおり次回作へと気持ちを向ける。

「コミュニティづくりをしているって括られるのには少し違和感がある」とつねづね口にしている彼らしく、このフリーペーパーの完成をもっていったん〈俱楽部〉は解散予定。絵や写真、書評、対談など今回参加を見送った人も多数おり、また新たに作りたいという人も募って有料版を制作する。アメーバのようにゆるやかにうごめく彼らの動向から目が離せない。