巻頭特集 | 2025.04.10

どうしたら「ちがったまま」共にいれるのだろう?

2025年冬、わたしたちは性差から生まれる「もやもや」の中を未だ漂っている。家庭の中で、働く場所で、また何気ない日常で、「なんとなく」かつ「歴然と」それは存在し続けている。そこにある「もやもや」には、それを生み出す背景が必ずあるはずで、今回はその背景を「家父長制」という言葉をキーワードに解き明かしてみたい。「わかり合えなさ」の構造を知ることで改めて模索する、「尊重し合える」世界。わたしたちが「ちがった」まま共にあるには、どうしたいいのだろう?

例えば結婚している2人が連名で名前を書くときに、どちらの名前を先に書くだろう?「なんとなく」夫の名前を先に書くとしたら、その「なんとなく」には理由がある。もし女性同士や男性同士で連名にするなら、その状況に応じてきっと話し合いが持たれるだろう。それなのになぜ「なんとなく」夫の名前を先に書くのか?そうするメンタルの背景にはもはや無意識とも言える「家父長制」の影響がある。

「家父長制」とは、一言で言えば「男性が支配的な立場にある構造」のことだ。「家」、そして「父」という漢字が入っていることからも分かるように、この根本には家族とジェンダーのシステムがある。

日本では、1898年に施行された明治民法において、男性の家長(戸主)を1番上に置き、その下に卑属、傍系、女性という親族集団を配列する「家制度」が作られた。戦後、この制度は法的には解体され、夫妻は「同等の権利を有する」とされたが、今もまだ男性優位な「家」の意識は根強く残っている。夫の名前を先に書くメンタリティと夫による妻へのモラルハラスメントの距離は非常に近く、さらに世界的にみて日本の女性の企業代表や議員が著しく少ないこととも大いに関係がある。それぞれにちがう身体、ジェンダー、セクシャリティを持つ中で、その「ちがい」はなくなることはない。その「ちがい」を認め合うことが難しく、「わかり合えない」のはなぜか?それを阻む要因の1つとして、「家父長制」は、日々の暮らしの中でいまも依然として「ある」。それが「ある」ことを知ることが、「わかり合える」世界への最初の1歩であるのかもしれない。

こんなデータあります。

〈株式会社一条工務店〉
「共働き夫婦の家事シェアに関する意識調査2024」

〈株式会社日本総合研究所〉
「取締役会のジェンダーバランス調査(2024年度版)」

例えば「結婚して、子供を持ってこそ一人前」という価値観は、抵抗感こそあれども、まだどこか「普通」のものとして想像してしまわないだろうか?子供を産まない女は自分勝手で、家族を養えない男は半人前、LGBTQ+は「生産性がない」?本当は自由に選んでいいはずのことが、家父長制のメンタリティを通すと、守るべき「規範」のようになっていく。そしてそのしわ寄せの多くは女性たちに向かっていく。わたしたちは平等なはずなのに、ケア労働や家事は女性がやるものだとどこかで思ってしまうし、国は夫婦別姓をいまだ認めていない。「家父長制」が問題なのは、人生は(「家」や他人のものではなく)自分のものであること、そして私たちはみんな平等であるということが、構造として無視されているからなのだ。

「家」ではない場所にある「家父長制」

「家」ではない場所、仕事や恋愛にも「家父長制」はある。たとえば社会のステークホルダーにはまだまだ男性が多く、女性やマイノリティが働く場面には、実績が十分にあっても妥当な評価が得られず、役職につけないという「ガラスの天井」が存在する。これは育休などの制度が整っていないこと、つまり家事育児は女性がすべきだという意識がまだ残っていることが要因の1つだろう。なんとなくみんなが持つ「男性はこうあるべき、女性はこうあるべき」というぼんやりした無意識や、「男性がリードして、女性が支える」というぼんやりした愛の形をした何かにこそ、「家父長制」の支配は強く宿っている。

「家父長制」を解体するのは誰?

「家父長制」の解体を望むことは、結婚する個人や家族を持つことの否定ではもちろんない。問題なのは個人ではなく、構造なのだ。自分で選んだはずなのに、なぜか息苦しいのは、わたしやあなたのせいではなく、「家父長制」という構造のせいかもしれない。そして構造は小さな1歩から変えることができる。たとえば「女らしさ」「男らしさ」という価値観を手放していくことはできるし、強い立場にある側が自らが持つ特権を自覚することはできるはずだ。私たちは1人ひとり自由で平等で、自分の人生を生きる権利がある。日常の息苦しさを、「家父長制」という構造的な視点で考え直すことから始めてみてほしい。

●各分野の男女の地位の平等感

〈内閣府〉「男女共同参画社会に関する世論調査 」(令和4年11月調查)

稼ぎが少ない方が家事をやってほしい

お金を稼ぐ仕事は偉くて、給料のない家庭内のケア労働は偉くない?外でお金を稼ぐことができるのは、家庭内の「シャドウワーク」があってこそ。男女の賃金格差も考慮に入れながら、家父長制と資本主義のタッグに気をつけたい。

参考本:カトリーン・キラス=マルサル「アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?

「女性ならではの感性や共感力で」

「女社長」「女医」という言葉のように、なぜ「女性」だと強調されるのだろう?感性や共感力は女性だけが持っているものではないし、彼女がその仕事をするのは女性だからではなく、能力があるから。無意識のジェンダーバイアスにこそ家父長制はある。

「キミは知らないかもしれないけど」

なぜかいつの間にかお説教されている・・・?それは「マンスプレイニング」かもしれない。これは男性が上から目線で「説明してあげてしまう」現象を表す、man(男性)とexplaining(説明する)を合成した造語。性別で決めつける前に、相手のことをよく見ることが大事。

参考本:レベッカ・ソルニット「説教したがる男たち」

「僕が君を守る」

男性が守る側で、女性が守られる側という構図は「あるある」だが、それが「規範」になっていないだろうか?男性が弱みを見せてもいいし、女性が主体的に何かを選ぶこともできる。「大黒柱」と言わず、柱は多くたっていい!規範に縛られず、弱さを見せ合えるパートナーシップを目指したい。

●配偶者からの暴力被害経験

●どんな暴力を受けたか?

〈内閣府男女共同参画局〉男女間における暴力に関する調査報告

家父長制ってまだ必要ですか?

周りから称賛されるヒーローや面倒見が良くて誰からも頼りにされる国王。彼らが登場する映画を見ていたら、なんだかモヤモヤしてきた。

そういえばどこかでこんな気持ちになったけど、いつだっけ?「共にあること」をめぐって、ジェンダーについて考えるクロストークが今年も開かれる。家父長制ってまだ必要ですか?

なおみ

暮らしを豊かにする日用品と量り売り〈think〉店主。ゼロウェイストだけでなく、social good ideasが見つかるきっかけづくりの場として活動中。

はづき

ライター / 企業向け人材採用コンサルタント / anoina,編集長。Webサイト運営や文章作成、企業セミナー講師を務める。自身のシングルママ経験から女性の仕事・生き方相談受付中。

ひーひん

飛騨を拠点に活動するシンガーソングライター・ひーひん(Hehing)。癒やし、楽しい、セクシーでお馴染み。キャッチーなメロディーのオリジナル曲や色気のある歌声に定評がある。初シングルが近日発売予定。

昨年2月のフェミニズム特集は、多くの高齢女性や子育て中の女性から反響がありました。でもやっぱり男性からすると「フェミニズム」や「ジェンダージェンダー性別に関する社会的規範や性差のこと。生物学的・身体的な性とは棲み分けて用いられる。」って、怖い話題とされがちですよね。

ひーひん

僕はフェミニズムについては「怖い」もありつつ、「自分ごととして考えられていない」という方が感覚的には近いかもしれないですね。カタカナの言葉が多くて難しいイメージもあるし、そもそも知らないことばかりで..。今日は勉強させてもらうつもりで来ました。

なおみ

「怖い」とされているのは、怒った表情と一緒に触れられることが多いからというのもありますよね。私自身、女性の権利を声高に主張したり相手の価値観にまで立ち入って糾弾するネガティブなイメージがあって、当初は避けてしまっていました。それでも子供を生み育て、ライフステージが変化するにつれて、生きづらさも感じるようになってきたんです。言葉だったり、概念が頼りになるのはそういう時だなと思います。先に経験した方々が言語化してくれている。

はづき

今ではかなり理解が広まってきたとはいえ、世代間のギャップはまだまだありますよね。一口に「特権的な男性」と言っても、年代ごとにもそれぞれに全く異なる困難を抱えてもいる。とはいえ、私は父がいない家庭で育ったのもあって「家父長制」というものが、そもそも現代においても、まだ必要なんだろうかとはずっと思っています。ひーひんさんは、以前から関心があったんですか?

個人に思いやりを構造に怒りを

ひーひん

いえ、むしろ6年前に飛騨移住する前は、父親としても夫としても全く褒められたものではなかったと思います。「頑張って働いて、お金が稼げていればそれでいい」と、子育ての一番大変なタイミングで妻に任せきりにしていました。そのうえ、自分がやりたいことは音楽だからと、当時就いていた仕事自体を楽しめていたわけでもなく、そこに少しの居心地の悪さを感じてもいました。僕の子供は重度の障がいを持っていて、今は支援学校に通っているんですが、最近では僕が保護者として学校に行くと珍しがられたり褒められたりする時、違和感を持つようになりましたね。

なおみ

積極的に子育てに関わるきっかけはなんだったんですか?

ひーひん

いまは僕が主夫として、家事・育児全般を担当してるんですが、これは高山に移り住んできたタイミングで、妻と話し合って決めたことなんです。それぞれの得意や苦について2人でよく話し合ってみたら、妻に外で仕事をしてもらい、僕が家事・育児を担当するのがお互いにとっていいな、となったんですよね。その方が、以前に比べたらなんというか健全でいられる気がして。それに家事や育児をしながら他にできる仕事って圧倒的に限られる。そのことを知れたのも良かったと思ってます。

なおみ

パッと切り替えられたのは、自覚はないかもだけど、ひーひんさんもフェミニストだからなんだと思うな。フェミニズムは決して女性だけのものでも、女性のためだけのものでもない。共にいるために必要なもの、というか。

はづき

「家父長制」にも同じことが言えそうですよね。男性性について話し合うことは、女性を守るためだけではなく男性を守るためにも必要なことだと思います。ただ、やっぱり言葉からだけだと、すこし分かりづらくもある。

なので今回も、理解を深める手助けとなるような映画や書籍などをピックしてもらいました。さっそく、はづきさんから紹介してもらえますか?

はづき

私はまず「楢山節考楢山節考今村昌平監督。深沢七郎の小説「楢山節考」「東北の神武たち」を映画化し、1983年、第36回カンヌ国際映画祭でパルムドールに輝いた人間ドラマ。」が浮かびました。貧しい農村の話で、男女ともに70歳になると口減しのため姥捨山へ捨てられにいく、伝承をもとにした映画です。映画の中の女性は結婚して家事・育児をするか、身売りされるかしかなく、男性も長男以外は人権すらありません。ただ、長男も姥捨山に親を連れていかなければならず、いずれは自分の番も来る。それぞれに事情があるとはいえ、社会の中での役割が自分の意思より優先されたり、個人の優劣を勝手に決められることに理不尽さを覚えました。

明治期までは長男が特権的であるのは、法律でもあったんですよね。

はづき

子供の頃によく見たのは、祭なんかの時に、男性が座る席にはご馳走がいっぱいあって、宴の主体として楽しんでいるけれど、女の人は台所でずっと料理を作り続けている光景。当時からそうした光景も、「女の子だから手伝いなさい」って言われるのも、不思議でしょうがなかった。

ひーひん

神事は特に、女性を禁じる風習や文化が根強いですよね。

なおみ

お正月だったり多世代が集まる場にいると、「あれっ?」って思うことがけっこうあります。女性だけに雑務が押し付けられている状況を当の女性自身も疑問に思っていなかったり、男性もそれに甘んじていたり。

はづき

今になると酔っ払いの相手は面倒だから台所に集まってたほうが楽、というのも分かりますけどね。おじいちゃんたち、本当に何もしないじゃないですか、笑。反対におばあちゃんはずっと動き回っている。ひとつの地域社会で権利のある人とない人が当然のように分けられていることに怒りを覚えていたのを記憶しています。そのことが「櫓山節考」にはよく表れていますね。

なおみ

私は「82年生まれ、キム・ジヨン82年生まれ、キム・ジヨンキム・ドヨン監督。世界が広いと信じていた子供時代、女性としての生きづら初めて知る少女時代、必死に勉強して入った大学から就職への壁。 結婚・出産で会社を辞め、社会から決められていく不思議な日々、そして再就職への困難な道――。女性なら誰もが感じたことがあるであろうシーンを積み重ね、ジヨンの人生は描かれる。」や「ストーリー・オブ・マイライフストーリー・オブ・マイライフグレタ・ガーウィグ監督、脚本。女性が表現者として成功することが難しい時代に、作家になる夢を一途に追い続けていたジョーは、性別によって決められてしまう人生を乗り越えようと思いを寄せる幼なじみローリーからのプロポーズにも応じず、自分が信じる道を突き進もうとしていたのだが……。南北戦争時代に力強く生きるマーチ家の4姉妹が織りなす物語。」が思い浮かびました。どちらも、ジェンダー間の不平等をさまざまな角度から描き出しています。でも見直しながら、最初に思い当たったのは自身の特権性でした。異性愛者で体も健康に生きているという条件で見れば、わたしもマジョリティに入る。結婚して子供もいる。それでも生きづらさを感じなければいけないこの状況って、いったい何なんだろうか、と。

はづき

飛騨の女性史飛騨の女性史高山女性史学習会 編集。郷土出版社、1993年。豊富な写真とテキストで、近代の飛騨を生きた女性たちの姿がまとめられている。』は編集をすべて複数の女性が担ったユニークな本なんですけど、読んでみると男性優位な状況に、少なくとも疑問を持っているように書かれてはいないんですよね。やっぱり、社会構造やジェンダー規範を自己のなかに内面化してしまっているようにも見える。個人の問題として眺めるのでは多くのことを見落としてしまうのだと思います。

なおみ

ジェンダー問題ではたびたび言われる「個人に思いやりを、構造に怒りを」ですね。夫婦や家族となるとあまりに距離が近くて、引いて見ることが難しくなるけれど、片方の性にだけ責任があるわけではないのも事実ですね。

半身で生きる

中には、身の回りにある特権性や暴力性に思い当たらない人だっていますよね。それでもちがったままで、うまくやっていくにはどうしたらいいんでしょう?

はづき

むしろ「男性性」と共にあることを考えていかなければいけないように思いました。男性の方に聞きたいのが、男性同士の付き合いでは根深い「強さ」という価値基準に、生きづらさを感じることはないですか?

ひーひん

僕は高校まで野球部でしたけど、だんだん体育会系のノリが合わなくなって、次第に遠ざけていきましたね。

はづき

それはなぜ?

ひーひん

勝てないと思ったからかな。社会人になっても、時間もお金も投入すれば「強く」なれてしまえる趣味に没頭することに、どこか距離を感じるようになりました。他にもリソースを割くべきことがあるはずなのに、参加するレースはそこでいいんだろうか、と。

はづき

根本的にホモソーシャルホモソーシャル恋愛や性的興味を伴わない男性間の緊密な関係のこと。ミソジニー(女性蔑視)とホモセクシュアル(同性愛)の排除によって成立する。に所属するということは、隣ち負けを強いられてしまう。けれども、それらに馴染めるかどうかは別なんですね。個人的には、争いや勝ち負けはほとんど興味がなくって。戦争だって男性同士が「俺が強い」って言い合ってるだけじゃないかなって思うことさえあります。そういえば、「ミッドサマーミッドサマーアリ・アスター監督。暗闇とは真逆の明るい祝祭を舞台に、独自の発想と演出、全シーンが伏線となる緻密な脚本、観る者を魅惑する極彩色の映像美が一体となり、忘れられない結末に到達する「フェスティバル・スリラー」。」に出てくる男の人も、みんな自分のことしか考えてなかったり、笑。

あの映画はサイコスリラー的な怖さだけでなく、その愚かしさも際立ってましたよね。

はづき

フェミニズム研究者の上野千鶴子上野千鶴子フェミニスト・社会学者。東京大学名誉教授。家族社会学やジェンダー論を専門に、多数の著作を発表している。さんは「男性は男性のために死ねるけど、女性のためには死ねない」と言っていました。そうした男性社会の歪さが「仁義なき戦い仁義なき戦い深作欣二監督。敗戦直後の広島・呉を舞台に、反社組織に復帰した主人公を描く人間ドラマ。繰り返される抗争は際限なく巨大化していく。」などの任侠映画にはよく表れています。

なおみ

最近話題にもなっていた「バービーバービーグレタ・ガーウィグ監督。世界中で愛され続けるアメリカのファッションドール「バービー」を、マーゴット・ロビー & ライアン・ゴズリングの共演で実写映画化。さまざまなバービーたちが暮らす完璧な世界「バービーランド」から人間の世界にやってきた1人のバービーが、世界の真実に直面しながらも大切なことは何かを見つけていく姿を描く。」では、唯一の男性キャラだったケンが特権的な男性性を獲得したあとで、結局それに馴染めず手放していく様子がとても印象的でした。全員が全員、そうした家父長制の集団でやっていけるとはどうしても思えない。

はづき

これはステレオタイプ的な言い方も含みつつだけど、男性は争いが仕事だから全身全霊でいける。女性は生活と仕事に半分半分だから、仕事に全フリするわけにはいかないんですよね。そこの差に、男性側がほとんど気づいていない。

ひーひん

でも守らなければいけない家族も生活もあるわけで…どうしたらいいんですかね?

はづき

前出の上野さんは「半身で生きる半身で生きる『フェミニズム 別冊100分 de 名著』加藤陽子、鴻巣友季子、上間陽子、上野千鶴子著。2023年の年始に放送されて大きな話題を呼んだ番組のテキスト版。4名の執筆陣が、多角的に「フェミニズム」について論じ、入門書としてもオススメな1冊。」ということを言っていたんです。富や権力、名誉、評判を追い求める欲望はなかなか手放せるものではないのかもしれないけれど、それらがまったく通用しない世界としての家族という居場所においてもしっかりと生きることをスキップしてはいけない。それら半分ずつに身を置くところから始めてみては、と。

椅子とりゲームを降りるのは恐ろしいけれど、そうしたルールとは無関係な家族との関係を見つめ直してみるべきなのかもしれないですね。でも詰まるところ、「どれかの椅子には座れないと」って焦りを感じることはないですか?

ひーひん

たしかに、僕はこのまま主夫として働いた先に、いわゆる何者にもなれなかった人になるかも、と想像してしまうことはあります。でも自分の椅子を確保することと、たとえば学校から連絡が来たらすぐに迎えに行ってあげられるようにしておくことは、今の自分にとって同じくらい大事です。なので、単にどちらかを諦めるのではなく、デイサービスだったり頼れる先には積極的に頼るようにしています。

はづき

そうした一般的には少数派の生き方に対して、同性からはどんな視線が注がれる?

ひーひん

僕のまわりは年長者も多いですけど、意外と理解のある方ばかりですよ。やっぱり、それぞれに固有の特殊さを抱えておられるので。でも初対面で主夫をやってますと言ったら、「おおヒモか、うらやましいな」って言われてしまったことが、過去にはありました

なおみ

うーん。主婦だったら「ヒモ」とは言わないわけで、根強いジェンダーバイアスを感じてしまいます。家事労働は低く見られがちだけど、超マルチタスクが求められるし、実は外注したら大変な金額になる。それに本来はどちらの労働も性差は不要なはずですよね。

ひーひん

そうなんです。それでその時は思わず「じゃあ、逆に主婦と同じくらい成果あげれてるんですか?」って言い返しちゃって、場が静まりかえってしまいました。今になって思えば、仲間に入れようとしてくれてたんだなと思いますけど、男性的な基準の中だけで語ろうとすることにあまり納得はできなかったです。

なおみ

誰しもが生まれた時にはケアをしてもらう存在から始まるけど、いつのまにか主に男性側は家庭外労働を理由にケアをしなくてもいい側になっていくんですよね。資本主義はそれに加担するどころか、誰かが誰かをケアしてるその存在を無いものとして扱っていく。

数年前に出た『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か? これからの経済と女性の話』カトリーン・キラス゠マルサル著。アダム・スミスが研究に勤しむ間、身の周りの世話をしたのは誰? 女性不在で欠陥だらけの経済神話を終わらせ、新たな社会を志向する21世紀の経済本。』は、世に出る功績の裏に隠れたシャドウワークシャドウワーク無報酬ではあるものの、社会・経済の基盤を支えるために必要不可欠な労働のこと。哲学者、イヴァン・イリイチによる造語。家事労働、妊娠・出産、子育て、介護や、通勤、サービス残業なども含まれる。を扱うものでしたね。

対話にも技術がある

なおみ

自分のことも伝えるし、相手のこともよく理解していかなければいけないですよね。ひーひんさんは、そうした家事の分担や関係性についてはよくパートナーと話し合うんですか?

ひーひん

妻は「一度決めたけど、そうじゃなくなりたいと思ったらいつでも言って欲しい」と言ってくれているんです。だから、会話できているとしたら本当に妻のおかげです。

はづき

すばらしいですね。人として尊重しあえているからこそできることだと思います。何かに対して不満を抱いた女性に向かって、「嫌だったなら、逃げればいいじゃない」という男性の発言に驚くことがあります。力の偏りを前提にしないで話が進んで、ナチュラルな特権性に気づいていないことに、ものすごく大きな壁を感じてしまうんです。本来は多くケアを担当していない側にこそ、聞く力が求められているように思いました。

ひーひん

妻は1ヶ月の3分の2くらいは出張で不在なので、僕らは帰ってきた時に報告事項も含めて話し合うことが多いんです。妻の業務内容を僕側でも理解していることも大きいですが、「さあ話そう」と改まらなくても、仕事と生活スタイルの振り返りが自然に1つの流れでできるのは大きいと思います。そうした会話が生活の中にすでに組み込まれている感じですね。

はづき

やっぱり対話を大事にしたいよね、って改めて強く感じますね。対話は難しいことでも才能がなければできないことでもなくて、技術によってできるものだと思っているんです。相手の話を否定しないためにも、まずは「自分が何を幸せだと思うか」から始めて、相手のことも理解し、反対に理解してもらっていくことが必要なのでは?

なおみ

私も次の世代には必要ない規範だったり、残したくない暗黙のルールみたいなものは、なるべく取り除いていきたいなと思っています。不平等や違和感を持った時には、特に子どもには「当たり前じゃないんだよ」って分かりやすく伝えたり、「この雑用は普段私がやってるけど、私がやらなければいけないわけではないんだよーと、話すようにしているんです。

ひーひん

敵対ではなくて尊重から関係性は作っていきたいですね。主夫とはいえ、男性目線からすると「フェミニズム」という言葉だけで見ないふりをしてしまいたくなることがあるのもよくわかります。それでももし他者の痛みに少しでも触れた時には、そこに「痛み」があるという、まさにそこから知っていかなければ、と思いました。

「もやもや」に気づいたら触れたい、
より理解を深める
書籍や映画・ドラマをピック!

DV夫から逃げ出すテルマと友人のウエイトレスのルイーズ。ドライブにトラブルが重なり、旅はいつしか逃避行に。彼女たちの生きづらさの背景にあるものが可視化されたシスターフッド映画。

1994年の韓国が舞台。14歳のウニの目を通して描かれる「自分と世界」。儒教文化が根付いた男性優位社会で抑圧された女性の姿が描かれる。近年韓国ではフェミニズム運動の機運が高まっている。

MOVIE

契約結婚から始まる社会派ラブコメディ。家事労働、賃金、そして愛の関係性をていねいに描き出す。家父長制のトラップに気づき、話し合いで潰していく2人が印象的。妊娠・出産がメインテーマの2021年スペシャルも。

日本初の女性法曹である三淵嘉子をモデルとした主人公・猪爪寅子の人生を描いた朝ドラ。女性の社会進出に立ちはだかるさまざまな形の家父長制と差別にぶつかりながらも、暴れ進んでいく登場人物たちに勇気をもらえる。「はて?」から始める家父長制解体!

DRAMA

実家暮らし・35歳・10年間彼女なしの向井くんの恋愛をめぐる物語。無意識に刷り込まれた家父長制に流されまくる向井くんを通して、やさしくて甘い愛の姿をした家父長制の支配が秀逸に描かれている。

COMIC

アディクション全般、アダルト・チルドレン、家族問題、DVなどに関して多数執筆する「臨床心理士」 信田さよ子氏の書籍も理解を深める一助に。

なぜ母は娘を縛る? なぜ娘はNOを言えない? 親の期待に苦しみながらいい娘を演じる「墓守娘」達に向けた書。

家族の中で起こる問題。その解決のためのヒントをくれる「共依存」という言葉について理解を深める。

BOOK

-編集後記-

自動ドアはどう開く?

20代の頃わたしが働いていたのは出版社で、闊達で自由な空気のある仕事場だったが、それでもホモソーシャルを感じるシーンはあった。例えば最初から(つまりまだ仕事で結果を出す前から)「男性」は優遇され期待を寄せられ、女性はその仕事が「できる」ことをして見せなければ、有能な人材として扱われない空気がまだまだあった。

こうしたことは、特権を持つものと持たないもののセンサーがついた「自動ドア」に例えられる。労なくして得られる特権を持つ人は目の前のドアが自動で開くのでその特権に気づかないが、持たないものは自分で開けるしかない。

3年後、同期の男性が「同じくらいでしょ?」と見せてきたボーナスの額が自分のそれの半分くらいで驚いたことがあるが、むしろ実力を評価してくれるそんな会社にあってさえ、女性だけが感じる自動ドアは確かに「存在」していたのだ。

これはもう30年も前の話だが、今はどうだろう?当たり前のこととして家事をシェアし合う若い世代のパートナーとの在り方に希望は感じるが、いまなおジェンダーから来るもやもやを抱えながら生きる人々がいることもまた本当なのだ。もやもやの背景を、その要因を「知ること」は、状況を理解する手助けになるし、思考を支えてもくれる。「ちがったままで」尊重しあえる関係性は、ジェンダーを問わない「みんな」のものであるはず。これは誰にとっても「自分ごと」の課題なのだ。(Y)

Editor's note

これは2025年1月28日発刊の月刊BLESS誌面にて掲載された内容です。

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