地域の中で愛されて、地域に貢献して、これからも地域と共にある。いまに至るヒストリーを一緒に辿れば、見えてくるのはこの地域の中で長く息づいてきた企業の唯一無二の物語。大きな節目に至るそんなストーリーを知ることで、この地域の未来が見えてくる!
この記事で掲載されている企業

地域の笑顔のために
株式会社丸茂

しあわせを繋ぐ、80年。
創業80周年を迎える〈丸茂〉の家づくりは、木の特性を最大限に活かし、自然エネルギーを取り入れる工夫を施すなど、環境にも配慮した家づくりを提案している。それだけでなく、工事現場周辺への配慮も大切にし、地域住民との調和を守りながら、プロジェクトを進めている。このようなていねいな取り組みが〈丸茂〉の家づくりの特徴であり、その根底にあるのは「しあわせを繋ぐ家づくり」という強い信念。単なる家を建てるだけではなく、お客さま一人ひとりの思いに寄り添い、共に未来を描く家づくりを行なっている。

創業 旧吉城郡細江村杉崎にて齋藤茂元がクレ板、ツキ板の加工工場を始める


〈有限会社丸茂工業所〉を設立
学校改革により、細江村立細江中学校新築の相談を受けていた茂元が、これを機会に製材所を創設。細江中学校の建設を請け負い、完成させる。〈有限会社丸茂工業所〉の経営は長男、次男と3人で力を合わせ進められた。建築業をはじめ土建業、運搬業と総合的に事業を進め実績を上げた(細江中学校新築建築工事、宮川右岸用水改良事業、数河白山神社新築工事、杉崎駅開設工事ほか)。写真上:数河白山神社竣工式。写真下:同神社工事途中。


〈有限会社丸茂製材〉を設立

神社仏閣などの建築事業を行う。写真は当時の工場を上空より撮影。

株式会社丸茂
現在の商号である「株式会社丸茂」に変更し、不動産、設計、施工を自社にて一元的にサービスを提供。一般住宅の設計施工管理、リフォーム・増改築の設計施工管理、公共事業「増島保育園・さくら保育園・飛騨産直市そやな他」の建築工事や神社仏閣の施工管理を行う。また土地、新築住宅の分譲、中古住宅の売買など不動産事業を行い、家づくりについても総合的な相談ができる会社へと発展。常にアップデートされた情報を元に、新しい設備・技術を取り入れている。現在社長の繁、長男辰憲、長女瑞恵がそれぞれの役割を担いながら事業を営んでいる。

![リノベーション、美容室 素々[suzu]](http://staging.blessmag.jp/wp-content/uploads/2025/05/feature-202505-2-1-06-02.png)


ショップ情報
新築住宅、リフォーム・増改築の設計施工管理 / 公共事業の建築工事・神社仏閣の施工管理 / 土地、新築分譲住宅、中古住宅の売買

“ともに生きる ありのままのあなたと”
社会福祉法人 飛騨慈光会

挑戦の先に見据える、地域のウェルビーイング。
現在、飛騨地域で福祉施設と支援センター等16の事業を運営する福祉法人。昭和30年に立ち上げられた〈飛騨慈光園〉をその始まりに、時代の変化や地域の要望に答えながら裾野を広げたその歩みは、さまざまな課題や困難の連続であったという。「人・モノ・金、すべてが不足する中、先人たちの絶えぬ挑戦や努力があったからこそ今がある」職員たちがそう語るほど、飛騨の福祉の発展には同社の歴史が切り離せない存在となっている。「目指す未来のためにはまだまだ挑戦は山積み」と課題を見据えるそのまなざしの先には、70年前から変わらず願ってきた「誰もが安心して暮らせる未来」の姿がある。

東山の一角に〈飛騨慈光園〉誕生
当時飛騨地区には身寄の無い子どもたちのための養護施設はなく、その役割を担うと発願した仏教会により現在の〈夕陽ヶ丘〉の前身としてスタートした。


知的障がい児施設〈山ゆり学園〉開設
重い障がいを有する子どもたちのため、飛騨初の障がい児施設として誕生。母親たちの熱い願いから始まったこの事業。当時の関係者たちの熱意と偉業で、県下の福祉制度は大きな進歩を遂げた。


飛騨福祉園構想の展開
更生施設〈益田山ゆり園〉が開設し、下呂地域の福祉支援にもその活動の幅を広げた。得意とする入所施設としての機能をベースに、さまざまなニーズに応えられる施設としてその役割を担っている。


家族で暮らせる安心を
委託事業として取り組んでいた母子生活支援施設〈清和寮〉を全面受託。母子が安心して暮らせる場として、2022年には老朽化した施設を一新し、より環境面の安心・安全を強化した。


地域福祉を次のステージへ
同社にとって大きな決断となった、〈身体障がい者療護施設飛騨うりす苑〉の開設。これまで経験のない分野への新たな参入ではあったものの、地域住民のニーズと社会的必要性に背中を押され、地域福祉の発展と進化の大きな節目の年ともなった。


総合支援センター〈ぷりずむ〉開設
法の整備や世論の変化も進み、福祉の質も向上を見せる平成後期。在宅障がい者への支援を求める声も高まってきた。年齢や障がいの特性に限らず、本人や家族も気軽に訪れられる相談の場として、今も多くの利用者の心の支えとなっている。


ひだ子ども家庭支援センター〈ぱすてる〉
地域の子育ての多様な相談に応じるために開設。育児の不安を抱える家庭・家族、そして子ども自身がほっと一息つける拠り所として各種支援事業に取り組むほか、飛騨地域の里親支援にも力を入れる。

ショップ情報
児童養護施設・母子生活支援施設・障がい児入所施設・障がい者支援施設等の運営

暮らしを楽しくする庭づくり
株式会社エクス

街の景色から個人宅まで、快適で美しい景観づくりを
公園づくりから家のカーポートまでをカバーする屋外設備の設計・施工を行う〈株式会社エクス〉を筆頭に、仮設足場材などのレンタル事業の〈エクス・リース商会〉、庭の設計・施工や植栽などを手がける〈アート造園〉の3社でエクスグループは構成されている。雪の多い飛騨の自然と調和した外構・造園工事を強みとして、地域で親しまれている景観を造り上げてきた。創業から50年の節目を迎えた今も、地域に根ざした信頼と実績をもとに、多くの人々に利便性と快適さを提供する屋外空間を創造し続けている。

株式会社エクス創業 初代ショールーム兼事務所
千島町飯山のふもとに構えられた創業当時の本社。「外構工事」を手掛ける会社らしく、門やフェンスがさまざま立ち並ぶショールームも兼ねていた。


エクス・リース商会 創業

アート造園 創業
〈株式会社エクス〉の事業の一部が独立する形で、〈エクス・リース商会〉、〈アート造園〉がそれぞれ設立。エクスグループを支える3本の矢が揃う。

せせらぎ街道の修景
せせらぎ駐車場のチェーン着脱場をはじめとした、せせらぎ街道の修景工事を行った。訪れる人々にとっての利便性と周囲の景観との調和が両立された工事が行われた。


千光寺 五本スギの樹勢保持工事
樹木医の資格を持つ現会長が、千光寺の五本スギの樹勢保持工事を行なっている様子。周辺の整備から樹勢の保持回復を行う。千光寺の樹勢回復工事では、木の痛んでいるところを補強し根を活性化させ、ワイヤーで四方から支えるなど、木の生命力を活かした作業で、地域の宝を保護した。



高山駅東口のロータリー付近の外構工事
観光客から地元客まで利用する、高山駅の顔ともいえる高山駅東口の広場周辺ではモニュメントやベンチ、植栽などの外構工事を担当。魅力ある広場づくりを行なった。


赤保木公園 再整備工事遊具設置、樹木の剪定

新社屋完成


個人邸の外構施工の様子
雪に強いカーポートや「使える庭」への需要が増えている。〈エクス〉では外構専用のCADを用いて初めての方にもわかりやすい外構デザインを提案。住宅と外構が調和した「豊かさと暮らしやすい導線」にこだわり、理想の庭を形にしていく。

ショップ情報
エクステリア用品の販売・施工

飛騨地域と全国を結ぶ
大野運輸株式会社

ドライバーファーストの新しい運送業のかたちを。
1975年に創業し、地域に根ざした運送会社として長年にわたり信頼を築いてきた〈大野運輸〉。飛騨地域の野菜の約70%を輸送しており、飛騨の魅力や産品を全国へ届けるという役割を担っている。同社では運送業界全体が直面している課題に対し、賃金見直しや休日取得の改善など、働きやすさや職場環境の向上を目指した改革に取り組んでおり、「ドライバーファースト」の姿勢を大切にした会社運営をしている。「3K(きつい・汚い・危険)」と思われがちな運送業界だが、旧来のイメージを刷新し、「若い世代にも選ばれる業界」にしていくためのチャレンジを惜しまない。

真野運輸 設立
営業ナンバー制度の導入を機に、〈有限会社真野運輸〉を設立。

商号変更
当時の設立地である大野郡丹生川村をはじめとした背景を踏まえ、社名を〈有限会社 大野運輸〉へ商号変更。


岐阜営業所 開設
事業の拡大に伴い、岐阜営業所を新たに開設。こちらでも〈JA〉が取り扱う野菜や穀物などの食料品輸送を主軸とした業務を行っている。


〈大野運輸株式会社〉に
投資のタイミングにあわせて、商号を〈大野運輸株式会社〉へと変更。現在、丹生川で栽培されるトマトは1日あたり約6万ケース。同社では30~40台規模のトラックを用い、他の運送会社とも連携しながら、飛騨の野菜を全国各地へと配送している。


畜産関連業スタート
畜産農家の高齢化などを背景に、牛専業飼料メーカー〈(株)オールインワン〉の委託工場として、〈飛騨TMRセンター〉の運営を開始。同センターでは、飼料製造管理者を常駐させ、安全・安心のオーダーメイド飼料を日々製造している。


ドライバーに働きやすい環境を
現在は「2024年問題」や「ドライバーの減少」といった課題の解決に向け、働く環境の改善を図る改革に積極的に取り組んでいる。

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戦争に招集された長男(多喜三)、次男(利夫)が終戦で帰郷した際に仕事がないと困るからと、創業者齋藤茂元が始めたのが、くれ板(屋根を葺く板)とつき板(瓦などの下に敷く薄い板)を作る工場。それぞれの専用機械を導入し量産を進める中、戦争が終わり兄弟の帰郷から本格的な仕事がはじまる。名古屋、岐阜、富山などの都会は戦災で焼け野原となり、復興のための木材需要は多い。そのため飛騨ではまだ車が珍しい時代にフォードとシボレーのトラック2台を購入し木材を納品した。また天生鉱山からは、掘り進めるトンネルの補強材の依頼があり、その材木を納入。その取引は長く続いた。