田中 明「笑う市長、中途半端でない平等主義と「らしさ」の言葉。」/ 高山市長
PROLOGUE
お話のはじまり好きなお笑い芸人はサンドウィッチマン。コワモテの二人からは想像しづらいが、地元仙台のラジオ番組にはノーギャラで出演するなど熱い面でも有名な実力派漫才コンビだ。そんな2人組の漫才のような、オールドスクールな笑い、特に間を活かした掛け合いが大の好物。多忙な公務のすきまに時間ができた時には、都市部の劇場まで足を運ぶそうだ。とはいえ週末が空くのはまれ。呼吸ができないくらい笑って、一緒に行った妻に「頼むから我慢して」と言われるくらい笑って、また日本一大きなまちの市政に戻っていく。そんな市長に、公務のすきまで話を聞いた。

AKILA TANAKA
田中 明(高山市長)
昭和36年2月14日生。東海大学文学部卒業後、民間企業を経て昭和62年高山市役所入庁。さまざまな部署を歴任後、令和3年高山市役所退職。同年4月株式会社シージェット設立。令和4年飛騨・高山観光コンベンション協会専務理事就任。令和4年9月高山市長に就任する。好きな言葉 / Go for it!(目標に突き進む)。趣味 / ギター・フィットネス・映画鑑賞。
おそらく多くの人にとって普段聞き馴染みのあるとは言えないデンマーク語は、くぐもったような音が特徴。そんなデンマーク語・北欧文学を大学で学び、在学時にはデンマーク留学で実際に生活した経験があるのが田中市長。しかし、なぜデンマーク語だったのだろうか。
「やっぱり言葉って、文化と一緒にくっついてくるじゃないですか。」
英語も仏語、中国語ならたくさんの教材が揃っているけれど、進路を検討する時にたまたま眺めていた本に載っていた馴染みのないデンマーク語に惹かれた。やや特殊な変化を遂げた「日本語」話者である島国の人間とは違い、同じ語源をもつ似た言葉の話者がすぐ近くにいるのが北欧の人々。「訛りの強いデンマーク語を喋るな」と思ったらノルウェー人だった」ということもあったそうだ。
公用語。ところ変われば方言。違いのはっきりしないのは「はんちくたく」もあるか。これらを細かな差とするかどうかは意見が分かれるだろうが、多くの人と同じく市長にとっても留学はさまざまにある違いに触れ続ける時間でもあった。見かけの異なる「アジア人」に対する視線の良し悪しもまたさまざまあった。分かりやすい違いはどこでも目立つもの。飛騨と重ねあわせてみたら、私たちの使う方言も「マイナー言語」なのだと思えてくる。そんな市長のSNSには今日も飛騨弁が並ぶ。
もともと言葉には関心があった。言葉そのものと同時に、その奥にある文化を学ぶことがあった。言葉は文化と一緒にくっついてくる。市長がたびたび口にした言葉の音を気にする様子は、その逆もまた然りなのだろうかと想像する。つまり、文化もまた言葉と一緒に表れてくる。ゆったりとした、くぐもった音の言語が話され、九州ほどの大きさしかないデンマーク。この国は高福祉国家として知られている。「幸福な国」としてランクインすることもしばしばな一方で、「国民負担」が大きいこともまた事実。これは常にあらゆる政治の場面で語られる話題でもある。市長は滞在経験を経て、日本に導入できると思われたのだろうか──。
中途半端ではない平等主義
「そのまま導入するのはかなり難しいと思います」。文化状況の違いをまざまざと見てきた市長だからこその実感がこもる。「失業手当受給者が昼からビールを飲んでいて、当時の僕にはわりと衝撃だったんですよ」。現地の人に、日本には「働かざる者、食うべからず」という言葉があると伝えてみたら、みなキョトンとしていたそうだ。公平/不公平は社会ごとで変わりうるが、国全体で国民を支えるという中途半端ではない平等主義というものを肌に感じた。
もちろん、これが良いか悪いかは別の話であり、当然視察に行って制度だけ持ってこればいいというわけにはいかない。だからこそ「難しい」という実感があったのだ。どちらかといえば消費型経済が中心の日本とは違って、デンマークでは物を大切に長く使い続けることが美徳とされる。男女の賃金差は小さく、多様性に寛容で、社会保障がしっかりしている。働いていてもいなくても、若くても高齢でも、女性でも男性でも平等に豊かな暮らしを享受できる。そんな幸せの形もあるという相対化の経験が、改めて日本を考えるうえでの定点となった。
「多様性は社会や組織の原動力である」。裏返せば、多様性をないがしろにする社会や組織はいずれ衰退してゆく。確かに、多数派と少数派は常に存在する。そのうえで市長は「少なくともいろんな価値観を持っている人がいるということを知っていただきたい。どんなシステムがいいのか、どんな社会制度がいいのかってことを議論できるような社会にしていきたい」と語る。そんな田中市長は、ブランド・海外戦略部長等を歴任された後2021年に長年勤めてきた市役所を定年を迎え退職し、外国人観光客誘客事業を担う会社を設立する。市長選に臨む前年のことだ。
らしいかどうか
なぜ、市長になろうと思ったのか?その経緯には、これまで行動を制限されてきた少数派にすべての人がならざるを得ない、とでも言うべき異常事態、covid-19の感染爆発が深く関わっていた。「何も決められず、何も動かせなかったんです」と、拡大当時の焦燥と悔しさを滲ませる。社会生活が望めない状況では、誰もが日々当たり前にしてきた、その社会生活そのものを支えようとすることさえできない。さまざまある価値観も、やはり直接会えなければ議論も新たな試みも増えず、その価値観はタコツボ化してしまう。そんな堂々巡りの日々が市長への立候補を決めさせた。
以降、順調に何でも実施を決められてきたわけではもちろんない。人を迎えたり、人と話すことは単純なことでもない。けれど、火葬場整備や産廃処分地の問題、大型遊具やプールなどの整備など、簡単に答えのでない複雑な問題にも挑んできた。就任以来「もっと田中色を出せば」と度々言われることもあるという。自治体によっては、ぐいぐいと引っ張っていくリーダー像が求められもする。しかし高山市には「らしさ」がすでにある。
だからこそ、「住まわれてきた人が長年積み重ねてきたものとしてすでにあるものの中で、いかにその市民の方々が充実した日を送っていただけるか」。そのらしさの軸を地域に置くことに苦心をしてきた。「明日頑張ろう!」とまではいかなくても、「明日もまあきっといいよな。 明日も暮らしていこう」と思える。そんなここに暮らす人たちの日々が目指されているのだ。
花開くこと
市長はフォローアップ型のリーダーシップを示しているのだろう。それは、職員と接する際の「あなた方がいるから仕事ができる」という基本姿勢にも表れている。自らも経験してきたからこそ、出来れば短期間の仕事に過度な負担を職員に強いたくない。国の補助金につられて決めてしまうような過大な長期のヴィジョナリーさもあまり重要視しない。反対に、なぜか当然とされてきたルールの中にも意外と変えられることも多い。
だから、今やっていることが 3年後、 5年後、 10年後に花開くことを主眼に置く。そのための「それが本当に高山らしいか」という長い時間軸からくる判断基準をもとに、自身にも職員にも常に問いかけ話し合うことを重視している。市民からの耳の痛い話ももちろん少なくはない。けれど同時に誠実に対応する職員への感謝の言葉が聞こえることもある。きっと届いていないだけで、本当はもっとたくさんある。
「市民の思いをどう形にするかが、私にとっての一番大切な責務」。なぜその思いが生まれたのかと考えを巡らせ、思いの裏にあるもっと深い思いにも寄り添う。行き交う言葉は、共通の言葉かもしれないし、方言なのかもしれない。話されている言葉だけでなく、その発された場での意味にも傾聴すべきは、同音異義の方言を持つ高山らしさゆえなのだ。
EPILOGUE
お話を聞いて…サンパチマイクの隣に。
市長のにこやかな態度が感じさせたのは、どんな人にも分け隔てなく話を聞く腰の低さ、とまとめてしまえばたしかにそうなのだけれど、むしろ「人間のどちらかがどちらかよりも偉い」とするような通念を、そのこしらえそのものを誘い笑い合う、そんな可笑しみの感覚でもあった。その背後には、相方がはじめに設定した突飛な状況をすんなり受け入れてしまうボケと、その後の相方の逸脱にもひとまず耳を傾けて会話を続けるツッコミが共存してこそのサンドウィッチマンの話芸が浮かんできた。誰もを迎え入れるためのスペースをサンパチマイクを挟んで作り立つ市長の姿を見た。
















